大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成6年(ヨ)1812号 決定

債権者

寺辻幸男

債務者

有限会社大阪進学スクール

右代表者代表取締役

上水満治

右代理人弁護士

木村五郎

臼田和雄

主文

一  本件申立をいずれも却下する。

二  申立費用は債権者の負担とする。

理由

第一申立の趣旨

一  債権者が債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二  債務者は、債権者に対し、金三三万円及び平成六年七月一日から本案の第一審判決言渡に至るまで、毎月二〇日限り、一か月金三三万五〇〇〇円の割合による金員を仮に支払え。

第二主要な争点

一  争点の前提となる事実関係(なお、争いがない事実は括弧内にその旨表示し、それ以外の事実は、本件疎明資料及び審尋の全趣旨により認定した)

1  債務者は、上水満治(以下「上水」という)を代表取締役とする学習塾を経営する有限会社である(争いがない)。

上水及び債権者は、いずれも大阪大学人間科学部を卒業し、上水が債権者の先輩の関係にある。

2  上水は、若くして学習塾「高倉セミナー」を経営し、昭和六二年一〇月一日には学習塾の経営等を目的とする有限会社ユーゲントを設立して代表取締役となった。その後、平成五年六月に債務者の現商号へと商号変更された。

3  債権者は、昭和五八年ころから、アルバイトとして、「高倉セミナー」の講師となり(右塾に勤務していたことは争いがない)、並行して新聞社や公務員の採用試験を受験していたが、平成元年七月、右塾をやめた(やめたことは争いがない)。債権者は、ルポルタージュを書くなどした後、平成二年二月にいわゆる大学検定の予備校である「師友塾」に就職し、更に「ヒューマン・キャンパス」(予備校)、「日本教育スクール」(学習塾)へと転職していった。

4  他方、債務者の学習塾は、平成五年には四〇〇名にまで生徒数を伸ばし、上水と専任講師の二ツ迫禎彦(以下「二ツ迫」という)の二人で管理をしていたが無理が生じつつあったので、同年一〇月ころ、当時「日本教育スクール」に勤めていた債権者の事務処理能力に期待して、復職の打診がされた。

同年一一月一日、上水と債権者が面会した。その席で、債権者が担当する業務内容として、生徒数増加に伴う指導・管理体制の充実等、具体的には、年間カリキュラムの作成・管理、テスト対策の管理、各学年・各教科の進行状況の全体的な把握、出席簿の管理、授業日誌の管理、毎月の連絡票の管理、成績管理、講師の勤務評定のための準備等の教務全般にわたる内容が示され、更に、給与水準の関係で、他の専任講師の半分程度である週一〇時間程度の授業も担当することが求められた。債権者は、右復職に合意し、平成六年三月一日(債務者のいう新学期の開始日)から教務部長として勤務することになった(以下「本件雇用契約」という)。なお、債権者は、同人の事務処理能力には自信を持っていることが窺える。

債権者は、平成六年一月及び二月の空いた時間には債務者の新学期の準備をするなどした。そして、債権者は、同年三月一日から債務者において教務部長として勤務するようになった(争いがない)。

5  債務者は、地域に密着して幅広い学力の生徒を預かるタイプの学習塾であり、平成六年には大阪市都島区高倉町内に二か所の教室(室数は合計八室)を有し、小学校四年生から中学三年生まで約四五〇名の生徒と二〇名近い講師(上水や債権者も含む)を擁する塾となっている。

債務者は、債権者のほか、常勤の者として那須孝(以下「那須」という)も雇用し、その結果、上水、二ツ迫、債権者及び那須の四名が常勤者となり、毎週水曜日にこの四名で構成するスタッフ会議を開いて債務者の運営を討議し、上水が最終決定するようになった。そして、右四名の役割分担は、代表取締役の上水が運営全般の責任者となり、債権者が教務部長として出席状況や授業内容のチェックなど右4に記載のような仕事を担当し、二ツ迫が高校入試対策部長として中学生クラスの責任者となり、那須が総務部・入試対策部長として中学入試の責任者となるというものである。なお、上水を含め、右四名全員が授業を受け持つこととなったが、債権者の授業時間数は、上水ら他の専任講師の半分の週一〇時間程度と少なくし、管理業務に力を注ぐように配慮された。

6  債務者は、同年六月一日、債権者に対し、同月三〇日付けにて解雇する旨の予告をし(以下「本件解雇の意思表示」という。意思表示があった事実は争いがない)、右期日が経過した。

二  当事者の主張

1  債権者は、債権者には労働者としての能力、適格性の欠如や規律違反の存在等、解雇の合理的な理由は一切なく、上水が債権者から指摘を受けて、自己の余りの事務処理能力の低さを痛感せざるをえなくなったことから、自己の体面保持のために、また、腹立ち紛れに、債権者の態度が気に食わないという一時的、個人的感情に走り、気まぐれから、債権者の生活を困窮に陥れる本件解雇の意思表示をしたものであり、解雇権の濫用であって無効であると主張する。

債権者は、この主張を前提に、債務者に対する地位の保全を求め、加えて、毎月二〇日限り、当該月の一日から末日までの給与三三万五〇〇〇円が支払われる約定であったと主張し、解雇後の平成六年七月一日以後本案の第一審判決言渡に至るまでの間の賃金の仮払を求めた。

債権者は、更に、一年間に合計一〇〇万円の賞与が二回にわけて支払われることになっていると主張し、平成六年三月一日から同年六月三〇日までの四か月間に対応する賞与として三三万円の金員仮払を求めた。

なお、債権者は、雇用契約に試用期間の定めがあったことは否認する。

2  債務者は、まず、債権者との雇用契約の内容につき、平成六年三月一日から三か月間の試用期間を設けていたもので、その期間の終わりに、債権者を従業員としての適性がないと判断して、正式社員として採用しないこととした旨主張する。

債務者は、本件解雇については、通常解雇(以下用語としては「普通解雇」という)として、前判示のとおり、解雇の予告をした上、平成六年六月三〇日限り債権者を解雇した旨主張する。なお、債務者は、債権者による右解雇権の濫用の主張に対し、〈1〉債権者は、業務上の指示に従わず、職場での協調性を欠いていること、〈2〉債権者は、債務者及びその代表者上水の悪評を広げ、非常勤講師と上水との信頼関係を破壊しようとすること、〈3〉債権者は、債務者の対外的な信用を失する行為をしたこと、〈4〉債務者は、債権者に対し、右各行為等に対し、数えきれないほどの注意をし、債権者は自己の非違行為に対して始末書を書きながら全く反省がなく、かえって反抗的で改善の見込みがないこと、〈5〉平成六年五月三一日から翌日にかけて、債権者は、上水と那須の固有の業務であった小学校六年生の中学受験クラスのクラス分けの業務に介入し、上水から説明を受けているのに執拗に失礼な言葉遣いで上水を非難し続け、何度も同じ不毛の議論を継続し、塾の運営を妨害したことを挙げ、これらにより、債権者が職務を遂行する能力が欠如しており、従業員としての適格性を欠き、職場の秩序を乱すものであって、債務者の中に債権者をとどめおくことは到底できないので本件解雇の意思表示(普通解雇)をしたものであって、無効ではないと反論する。

また、賞与の請求については、債務者においては賞与算定対象期間も支給条件についても規定がなく、賞与の支給日(平成六年七月一〇日)に在籍している者にのみ支給するのが慣例となっているので、債権者は賞与の具体的請求権を有しないし、仮に何らかの請求権を有するとしても仮払の必要性を欠く旨主張する。

三  争点の形成

右によれば本件における主要な争点は次のとおりである。

1  債務者と債権者との雇用契約において、平成六年三月一日から三か月間の試用期間が合意されていたか。

2  解雇理由と解雇権の濫用の有無

3  解雇までの在職期間(平成六年三月一日から六月三〇日)に対応する賞与請求権の有無

4  金員仮払の必要性

第三争点に対する判断

一  試用期間の点について(争点1)

前記のとおり、本件雇用契約は平成六年三月一日からのものであるので、試用期間の合意があるとすれば、その前にされているべき性質のものである。

債務者作成の報告書(〈証拠略〉)及び那須作成の書面(〈証拠略〉)では、平成六年三月一五日の会議の席上、上水から債権者及び那須らに試用期間であることの確認がされた旨の記載があるものの、三月一日以前の合意そのものについては、日付はもとより合意の状況についても的確な疎明がない。

なお、債務者は、平成六年五月三一日付けの債務者から那須に対する雇用契約の通知と題する書面(〈証拠略〉)及び同年六月一日付けの債務者と那須との雇用契約書(〈証拠略〉)を提出した。これらは、債務者の試用期間の主張を裏付けるかのような疎明資料である。しかし、右書面(〈証拠略〉)には、試用期間後に那須との正式の雇用契約を結ぶ理由として、「私立中学・高校への学校訪問と7月10日・17日の『有名私立中学・高校協賛入試説明会』を近畿圏の学習塾のトップを切って開催する等・・」と記載されているところ、疎明資料(〈証拠略〉)によれば、(証拠略)の作成日付である平成六年五月三一日の段階では、「7月17日の説明会」は未定であって、ありえないものであり、右(証拠略)の書面は、後日、日付を遡らせて作成された疑いが濃厚である。したがって、右各書面の信用性も乏しいというほかない。

結局、債権者と債務者の雇用契約における試用期間の存在については、本件全疎明資料によっても疎明があったとは認めるに足りない。

二  本件解雇理由及び解雇権の濫用について(争点2)

右一の判示をふまえ、試用期間という留保のない、通常の雇用契約における普通解雇の問題として、解雇権の濫用を検討する。なお、本件疎明資料によれば、債務者においては、解雇に関する就業規則の定めは見当たらず、また、債権者の雇用期間について定めが存在することの主張及び疎明はない。

本件においては、債務者が解雇の理由として、前記第二、二2の〈1〉ないし〈5〉のとおり主張した上、個々の問題となる点を指摘し、その事実の存否及びその評価としての解雇権の濫用が争われたので、以下に順次検討する。

1  本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、以下の事実につき疎明があったものと認められる。すなわち、債務者は拡大を続けている学習塾で、就業規則や契約文書等を新たに作成する必要があり、これらの基本的な管理体制等を整える期待をもって債権者を雇用した。上水の作成指示があってから債権者から非常勤講師勤務規定及び非常勤講師契約書の原案が提出されるまでに一か月半程度ないしそれ以上かかった。できあがった文面だけを見れば、作成するのにそれほど時間がかかるようなものではない。なお、専任講師勤務規定(〈証拠略〉)も作成されている。また、債務者は、債権者の希望によりNECのパーソナルコンピューター(以下「パソコン」という)を購入した。債権者がパソコンを扱いだしたのは平成六年四月末からであり、それまでは債務者が特別の手当を支払って講師の好本に扱わせていた。債権者としては、本格的にパソコンを操作した経験がなく、コンピューターのことは分からない状態であり、平成六年三月と四月にはパソコンを扱う暇がないという理由で、とりあえず必要なことはパソコンに詳しい右好本に任せ、五月の中間テストの集計あたりから債権者自身が使えるようになればよいと考えていた。上水から債権者に対し、いつになったらパソコンを使えるようになるのだと言ったこともある。

右の点について検討するに、右認定の事情からすれば、債権者の勤務実績は債務者の期待どおりではなかったことが認められる。もっとも、パソコンの点は、パソコン及びソフトウエアなどの操作、使用方法に習熟し、かつ、データの整理、入力等があって初めて有効に機能するものであり、新規にパソコンを導入したからといって、直ちに使いこなせる性質のものではない点は、考慮すべきであろう。また、文書等の作成の点については、本件疎明資料によれば、債権者は規則等の条項の細部にわたる条件等をどうするかに悩んでいたことが一応認められる。そして、勤務規定等の文書は、塾の経営にとって根幹に係わる事項で、経営判断の結果が反映されるものであると解される。そうすると、迅速な事務処理のためには、債権者は不明の点を上水に直ちに確認、照会するなどしつつ作業を進めるべきであったし、上水としても条項中の経営者の判断に係わる部分の骨子くらいは指示に入れておくべきであったと解される。この問題については、債権者及び上水の双方に責任があるというべきであろう。なお、誓約書については、誰が作成するかの指示が十分でなかった疑いもある。

2  本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、以下の事実につき疎明があったものと認められる。すなわち、小学校五年生の算数担当の講師長谷川が同年五月二六日に行う予定のテストにつき、手書きの問題をワープロで打つことを債権者に頼んできた。債権者は、同月二四日にパート事務員にワープロを打たせた上、翌二五日に債権者自身で仕上をした。この点に関し、上水が債権者に対して注意したところ、債権者は、所定の勤務時間外でやっていることだから、いいではないかとの趣旨のことを言った。

右についてみるに、債権者の右行為が債務者における禁止事項に当たるか否かについては、債務者における規定の解釈の問題はありうるが、重要なのは、他の講師の問題作成には関与してはならず、本来の職務に専念すべきと解するのか、ワープロに慣れていなくて困っている時などには助けてやるべきなのかなどという価値観の違いであるように思われる。前記のとおり、債権者は、債務者の管理体制の充実という職責をもって雇用され、しかも、それが急務とされていたものであることに鑑みれば、債権者自身が右のような作業に労力をかけるのは、真に期待された職責に対する自覚が欠けるのではないかとの非難は免れないであろう。しかも、債権者は、右のとおり、上水の注意に対し、反発すると解される態度を示している。なお、本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、右のほかにも、債権者はテキストの構成や製本作業等に意欲を示すなどしていることも見受けられる。

3  本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、以下の事実につき疎明があったものと認められる。すなわち、債権者は、あらかじめ、非常勤講師の畑谷は事務をするのは嫌みたいだと上水が言っていたのを聞いていたにもかかわらず、同年四月ころ、上水に提案することなく、直ちに、畑谷に対して夜間事務の一部をする気持ちはあるかと聞いた。畑谷による夜間事務の担当は、必然的に、学費等を得るために働いているアルバイトの者の勤務時間及び給与の減少という結果に結びつくものであり、そのことは、債権者も承知していた。なお、債権者には人事権はなく、後日、上水から債権者に対し右のことで注意があり、畑谷に右事務をさせられない理由などの説明を受けた。その際、債権者はこれを聞き流し、ああそうですかとの対応であった。

検討するに、右は、債権者が具体的に従業員の勤務体制を変更したなどの事態ではないが、債権者の独断による越権行為であると非難されても仕方のない行為である。また、上水からの注意に対する債権者の反応には誠実さがみられないというほかない。

4  本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、以下の事実につき疎明があったものと認められる。すなわち、債権者は、上水のいないところで、非常勤講師に対して、ちょっと何か言えば、すぐ始末書を書かなければならない旨や上水が世間知らずだなどとの趣旨のことを言っていた。

右については、債権者が始末書等の点について意見を述べるなら、上水に対し、適切な方式で具申すべきところ、債権者の右言動は債務者の重要な地位にある教務部長として相当であるとは解されない。

5  本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、以下の事実につき疎明があったものと認められる。すなわち、同年三月一五日の会議の際、職員の勤務規定を作ろうとの話となり、上水が債権者に対し、上水は勤務規定を作る時間が取れないので寺辻(債権者)が原案を作るようにとの趣旨の指示をした。これに対し、債権者は、かなり強い口調で、忙しくても大事なことであり、上水が作るべきであること、上水は仕事の優先順位を間違っているのではないかなどとの趣旨の主張をした。なお、右のような状況は、債権者が上水と話をする場合、よくある状態であった。また、当時、二ツ迫も強い口調で机を叩いて反論した。これら債権者らの言動に対し、那須は、びっくりした、上司に対してあんな口のききかたをしてよいものか、不安を覚えるとの趣旨のことを言った。右に対し、上水は、会議の席では自由に意見を述べていいこと、皆の意見を聞いた上で上水が判断して結論を出すこと、隣の事務室では非常勤講師や事務のアルバイトの学生もおり、運営スタッフの会議で大声で怒鳴ったり、机を叩いたりしたら動揺を与えるので、もっと冷静に意見を述べてほしいこと、上司である上水への言葉遣いにも注意することなどを述べた。そして、同月一六日、上水は、債権者と二ツ迫に対し、昨日の会議のような態度をとられていたら、到底塾の円滑な運営はできないと思うなどと注意し、両名に対し、書面を書いて来るように求めた。同月一七日、債権者と二ツ迫は、始末書を書いて債務者に提出した。債権者の始末書の内容は、上水塾長宛で、「これまでの言動を深く反省し、これからの言動は、上水塾長およびまわりの皆様の誤解をまねかないように、慎重に配慮し、大阪進学スクールの発展に協力することを誓います。」というものである(〈証拠略〉)。ただし、債権者は、本件審尋において「なぜ、始末書を書かなければならなかったのか、今でもわからない」としている(〈証拠略〉)。

右について検討するに、勤務規定は組織の根幹に係わる重要なもので、その作成には経営者の判断を要する事項が含まれることなどを考えると、債権者の発言にもそれなりの正当性もある。しかし、その原案の作成を経営者が従業員に指示することは直ちに不当とはいえず、これに対する債権者の右対応は意見具申の態度としては相当性の程度を越えているものと解される。そして、その後の債権者の言動からも真に反省がされているとは認められない。

6  本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、以下の事実につき疎明があったものと認められる。すなわち、同年五月一六日、大阪府統計課の岡久から塾の授業料等に関する照会の電話があり、債権者がこれを受けた。債権者は、新聞紙上でも塾の調査についての問題を取り上げる記事があったので、用心深く応対していたが、債権者が電話でその記事を話題にしたところ、岡久が読んでないと答えた。そこで、債権者は、「新聞くらい読んで勉強してください。」などと言った。

右については、社会一般的な感覚からしても、また、地域に密着した小中学生の教育の一翼を担う塾の教務部長の発言としても、相当性に欠けるものと解され、上水が経営者として右のような言動が債務者の信頼性に障害を与えると懸念するのは当然であると解される。

7  右の他に上水から債権者に対する注意があった点について、債務者は、数えきれないほどの注意をしたと主張し、その報告書(〈証拠略〉)においては、右の始末書の件のほかの明確なものとして、(1)同年四月五日に、債権者に対して、反発せずに素直に上水の指導や注意を受けて欲しいこと、始末書提出後も債権者は反抗的な態度であり、このままでは雇用を続けられず、解雇もやむをえなくなってしまうことを警告したこと、(2)同年の後半に、上水と債権者で話す機会があり、その際、上水は、債権者に対し、本当に今のままでは困る、もう少し協力的に仕事をしてくれないか、この状態が続けば本当に解雇になるかもしれない旨警告したことが記載されている(〈証拠略〉)。他方、債権者は、解雇の警告を受けたことはないとする(〈証拠略〉)。

結局、上水から「解雇」、「雇用の継続ができない」などの言葉があったかどうかについては、本件全疎明資料によっても確定できない。しかし、上司に対しての態度を改めろとの会話が何度かあったことは債権者も認めており(〈証拠略〉)、本件疎明資料によれば、少なくとも複数回にわたって、債権者に対して、上水への言動を改めるように注意がされ、上水としては、明言したかどうかは別として、債権者の反抗的、非協力的な態度が続けば雇用の継続ができないと考えるに至っていたことについての疎明があるものと認められる。

8  本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、以下の事実につき疎明があったものと認められる。すなわち、債権者は、同年五月三一日、新クラスの出席簿を作成中のところ、小学六年生の受験クラスのクラス分けの結果が債権者に届いていなかったので、担当の上水に対して、クラス分けのテストがどうなっているのか尋ねた。上水は、クラス分けテストはしないことにしたと答えた。駸々堂のテスト(いわゆる業者テスト)の結果でクラス分けが歴然としているからというのが理由であった。債権者は、それならそうと先に言ってください。駸々堂のテスト結果をクラス分けテストにかえるということで、と言った。しかし、債権者は、同日夜にも上水に対して、再度、同様の議論を繰り返した。更に、債権者は、六月一日の会議の席上、三たび右議論を持ち出した。

右について検討する。債権者は、右問題については、上水が、駸々堂のテストをもとにこうなったと結果を債権者に伝えておればそれで済んだことであるとしている(〈証拠略〉)。そうすれば、上水の右クラス分けに関する決定が正しいかどうかは別として、経営責任者として判断済みであり、五月三一日の最初の議論において、判断の理由が示されて決着したはずであり、後は、クラス分けに対する見解の相違(右業者テストでクラス分けをしたといえるのかなど)という平行線をたどる議論に陥っているのであり、債権者から再考を促すことは一切不当とまではいえないが、前記のように議論を蒸し返すのは、尋常ではなく、相当とは解し難い。しかも、本件疎明資料によれば、各議論にそれぞれ相当程度の時間が費やされていることが認められる。

9  以上みてきたことを総合すると、前判示のとおり、債務者は、急速に経営規模が拡大している他方で、組織的な充実が立ち遅れ、その管理体制の充実等が急務とされていたところ、債権者がその能力を期待され、右管理体制充実等の職務を中心に担当すべき教務部長として、いわばスカウト的に雇用されたものであるにもかかわらず、債権者にはその職責及び期待に対する自覚に欠ける面があり、他方では、かえって、独断による越権行為であると非難されても仕方のないような行為をし、対外的にも教務部長の発言としては相当性に欠ける対応をし、相当な程度を越えて自己の考えに固執し、上水に対し不適当な言動をし、一度は始末書を作成するに至ったにもかかわらず、なおも複数回にわたって上水から注意を受け、同僚からも注意を受けているが、反省はみられず、かえって反発するかの言動が見られるなどという事情が認められる。しかも、右一連の問題が雇用開始からわずか三か月という短期の間に生じていることは看過できないというべきである。そして、本件疎明資料によれば、上水及び債権者を含む四名で方針を合議する形式で進められている小規模な債務者の運営は、右認定の事情により、摩擦を生じ、円滑さが阻害されていることが窺える。更に、本件に現れた諸事情及び審尋の全趣旨に照らせば、右のような債権者の態度、言動は、今後改まる可能性は乏しいものと認められ、また、債権者には改める意思はないことが窺われる。

以上の判示に照らせば、債権者は、前記の職責を有する債務者の教務部長としての適格性を欠き、債務者の秩序に対しても混乱をもたらしているものと言わざるをえず、具体的事情の下において、債権者を普通解雇に処することが著しく不合理であり、社会通念上相当なものとして是認することができない(最高裁昭和五二年一月三一日第二小法廷判決・裁判集民事一二〇号二三頁参照)とまでは、いうことはできない(本件は、上水と債権者との確執であり、元をたどれば、塾の運営方針や在り方の基本的な考えや価値観の相違に基づくもので、その限りでは、上水と債権者のどちらが悪いと議論する類の問題ではないように思われる。しかし、組織運営に関し意見が対立した場合に、その最終判断をし、その結果の最終的責任を負うのは、ほかならぬ経営者の上水であるというべきであろう。)。

したがって、本件解雇の意思表示が解雇権の濫用であるとする債権者の主張は採用できず、本件解雇は有効である。

そうすると、債権者の地位保全及び解雇後の賃金仮払の申立は、被保全権利の存在につき疎明がないことになり、その余の点について検討するまでもなく、右申立は理由がない。

三  解雇までの在職期間(平成六年三月一日から六月三〇日)に対応する賞与請求権の有無(争点3)及びその仮払の必要性(争点4)について

便宜、仮払の必要性(争点4)の点から検討する。

右金員の仮払は、いわゆる満足的仮処分であるから、高度の必要性が求められ、かつ、制度の趣旨に照らしても、金員の仮払は解雇前と同等の生活水準までを保障するものでもないと解される。

そこで、本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、債権者は、債務者からの給与が唯一の収入であったことは認められるが、債権者は、独身であり、解雇後、債務者の従業員に賞与が支給された平成六年七月一〇日以後も、預金等により生活を維持することができていることが認められ、更に、債権者は、塾や予備校の講師の経験が豊富であり、この職業は、短期間に転職する者も多く(債権者自身もそうである)、比較的流動性のある労働市場を形成していることが窺われることや、債権者が大阪大学を卒業していることにも照らせば、えり好みさえしなければ、債権者は今後の比較的早い時期に生活に必要な収入を得ることは困難ではなかろうと推認される。そして、他に、右賞与の支払につき、本案判決による判断を待てないほどの切迫した事情は認められない。

そうすると、右過去分の賞与の仮払の請求は保全の必要性についての疎明がないと解され、被保全権利の存在について検討するまでもなく、右仮払の申立は理由がない。

四  以上のとおり、債権者の本件申立はいずれも理由がないので却下する。

(裁判官 田中昌利)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例